足利のみらい
日本全国の多くの地方都市が人口減衰に向かう時代です。わが町も同様な問題を抱えて現実的な人口減少の真っ只中です。
管理人が生まれた昭和30年代は、戦後の復興から高度経済成長へ階段を駆け上る時期でした。その大きな踏み台になったのが「1964年・東京五輪」でしょう。東京五輪の開催が決まって、田舎町にも建設の槌音がそこかしこに聞こえてくるそんな時代でした。
写真は、東京五輪まで3年くらいのご近所にあった資材置き場の原っぱです。ダンプがいつも止まっていて、建設資材があちこちに積まれては消えてゆく日々でした。昭和35年の足利市の人口が10.7万人ほどだったようですが、五輪が終わった翌年(昭和40年)には14.8万人急増しています。毎年1万人近い人口増です。今では考えられませんが、五輪に合わせて街の中に集合住宅がどんどん建設されたようです。
さて、そんなわが町ですが平成2年(1990年)の16.8万人は人口増の頂点で、その後は右肩下がり令和5年当初はやっと14万人ですから、その減衰率はかなり高い数字です。首都圏にありながらも都心からは中途半端に距離(約80km)があり、またローカル線沿線であるゆえに通勤にも遠いことから、働き世代が離郷する確率が高いのでしょう。
<参考>足利市の市制施行後の推定人口
2070年代には、日本の人口は現在に比べて3割も現象するという予想です。当然ながら地方都市の人口減はそれに輪をかけて減るのでしょう。首都圏と言われる「一都六県」ですが、そこには明確な人口密度の差があります。一番の原因は通勤の利便性でしょう。都心から40~50kmで幹線道路や路線のあるエリアか否か・・・そこですね。そして働き場所が確保できるかどうか!?
昭和の東京五輪の時代からバブル時期には、仕事のアドバンテージは、地方と都心は一旦差が開くのが止まっていたのですが、バブル崩壊後は、その差が開く一方になりましたしね。
さて、こんな田舎町にみらいはあるのでしょうか?
(ココからさきはまた後日、追記します。)