足利市北部にある足利氏ゆかりの寺院-樺崎寺跡
樺崎寺跡は足利市街地の北東の樺崎町にある。この寺は鎌倉時代初期に源姓足利氏第2代の足利義兼によって創建されました。足利市の鑁阿寺に伝わる「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」(室町時代の成立)によると、文治5年(1189年)、義兼が奥州合戦の戦勝を祈願して土地を寄進し、伊豆走湯山の理真朗安を開山として創建されたという。
奥州合戦の折に見た平泉の藤原一族が作った浄土庭園を持つ寺院の美しさに見せられた義兼は、樺崎寺の周りに浄土庭園を整備して信仰に傾倒したという。義兼は建久6年(1195年)に出家し、正治元年(1199年)に没した。樺崎寺には義兼の廟所が作られ、赤御堂と称された。以後この寺は足利氏の菩提寺となっている。
戦国時代になって足利氏が力を失うと樺崎寺も衰退し荒廃する。江戸時代に足利氏の末裔を称する喜連川氏によって跡地に八幡宮などが再建されたが、明治初年の神仏分離令により寺は廃され、境内にあった八幡宮のみが残っているが、足利市が進める近年の公園整備で、往時の浄土池や寺の伽藍基礎石などが発掘整備されつつある。