あしかがフラワーパーク駅
足利のまちなみ,  足利の歴史遺跡

JR両毛線にあった東西の足利駅を知ってますか

平成30年(2018年)4月に足利市内の新駅として「あしかがフラワーパーク駅」が開業した(写真上)。両毛線への新駅設置は1999年(平成11年)の前橋大島駅以来19年ぶりだと云うが、この新駅の誕生で、足利市内には5つのJR駅が存在することになった。起点の小山方面から「富田駅」、「あしかがフラワーパーク駅」、「足利駅」、「山前駅」、「葉鹿駅」だ。

さて時間をさかのぼろう。
自分が生まれた昭和の中頃まで、この街には8つのJR(国鉄)駅があったようなのだ。

両毛線起点(小山駅)方面から数えると、、、【富田駅】「東足利駅」【足利駅】「西足利駅」「三重駅」【山前駅】「葉鹿駅」【小俣駅】の8つだ。(※【】は現存する駅、「」は以前存在した駅)

その駅の沿革を以下に記しておこう(全てwikipediaによる)
それによると、この小さな街に多くの駅が誕生したのは、太平洋戦争後の高度経済成長に乗って人や物流の利便が求められたからだろうと思う。しかし、その後モータリーゼーションの発展でバスやトラック輸送便が発達するに従って需要は減り、休止、廃止へと向かったのだ。

★起点小山方面から並べて
【富田駅】
1893年(明治26年)2月18日 開業
1915年(大正4年)4月28日 赤見軽便鉄道(富田 – 出流原)開業
1927年(昭和2年)10月20日 赤見軽便鉄道廃止。
1985年(昭和60年)3月14日 無人化
2018年(平成30年)3月20日 この日より終日無人駅となる

【あしかがフラワーパーク駅】
2018年(平成30年)4月1日 開業

「東足利駅」
1951年(昭和26年)9月1日 開業
1968年(昭和43年)10月1日 休止
1987年(昭和62年)4月1日 廃止

【足利駅】
1888年(明治21年)5月22日 開業
1933年(昭和8年) 現駅舎完成
1980年(昭和55年) 南口開設
2006年(平成18年)3月 Kioskと駅そばが閉店
2015年(平成27年)7月24日:発車メロディを導入、曲は森高千里の「渡良瀬橋」
2019年(平成31年)駅舎は「現今の足利の礎を築いた交通・物流基盤施設、昭和モダンの風情と煌めきを留める歴史的建造物」として、土木学会選奨土木遺産に選ばれる。

「西足利駅」
1954年(昭和29年)10月20日 開業
1968年(昭和43年)10月1日 休止
1987年(昭和62年)4月1日 廃止

「三重駅」
1954年(昭和29年)3月15日 開業
1968年(昭和43年)10月1日 休止
1984年(昭和59年)3月1日 廃止

【山前駅】
1897年(明治30年)4月1日 足利 – 小俣間に開業
2019年(平成31年)3月1日 無人駅となる

「葉鹿駅」
1951年(昭和26年)9月1日 開業
1968年(昭和43年)10月1日 休止
1987年(昭和62年)4月1日 廃止

【小俣駅】
1889年(明治22年)10月10日 足利 – 桐生間に開業
2003年(平成15年)12月1日 直営駅から無人化

 

下段の写真は、足利駅にほど近い街の東西にあった「東足利駅」「西足利駅」付近の現在だ。
ホームにした敷地がいまだに残っていることから往時の姿を感じ取ることができる。まさに、この街の発展に貢献してきた軌道の跡なのだ。

 

[面白情報]
普通は東京から地方へ向かう列車をの下り、その逆を上りといいますね。わが街からJRで東京に向かうとすれば、小山~(東北線経由)上野なので、小山方面を上りと感じるのですがJRの運行上は下りなのです。何故でしょうか?!
 
JR両毛線の起点は栃木県小山市で終点の群馬県前橋市の新前橋駅(旅客案内上は小山駅から高崎駅間が両毛線)までを結んでいます。
 
両毛線は東北本線の支線にあたる為、小山を起点とし、新前橋を終点としていますが、運行形態は高崎〜桐生〜小山となり、新前橋から高崎までは上越線に乗り入れとなっています。
乗り入れてる上越線では高崎行きが上りなので、両毛線も新前橋から高崎行きが上りとなります。
逆に小山から宇都宮線の上野方面に乗り入れる列車が無い為、新前橋〜高崎間の上り下りに合わせて、高崎行きが上りとなっているそうです。

西足利駅があった地域から足利駅方面(東方向)を望む・・・真っ直ぐな軌道が郷愁を高める。