迫力あるお狐さんが待つ神社へ
菅東山出世稲荷神社、それがこちらの神社の正式名のようですね。地元の人は菅田のお稲荷さん、、、って呼ぶほうが多いのでは。
正治元年(1199)、源姓足利氏二代義兼公の勧請と伝えられ、その後の足利一族の繁栄にあやかり、庶民の間では、出世や養蚕、子供の成長等で信仰を集めていました。
菅東山稲荷神社、出世稲荷神社と呼ばれます。こちらも足利氏関連の社なんですね。
地元の歴史研究家の中島太郎氏の書いた『北の郷物語』 第30話「火伏の菅田稲荷」では・・・
光得寺の東側、城跡や古墳が点在する山腹の菅田稲荷神社は、正治元年(1199)、源姓足利氏二代義兼の勧請と伝えられ、出世や養蚕、子供の成長等の神徳で信仰を集めました。
明治時代に門前の雑貨商を訪れた謎の老爺が、毎年旧暦の12月25日に神社で頒布する「戸司完前」の文字が入った護符を貼れば火難に遭わないと告げて石段を上がり忽然と姿を消しました。
翌年の大火でその通りにした家が消失を免れたことから火伏せの通力で知られるようになったと言います。
田舎の里山にしては珍しいほど大きな赤い鳥居は地元の信仰の大きさを表すのでしょう。けっこう長い石段を上り見えた拝殿の後ろに鎮座する本殿は立派な作りです。さらに奥にはこの地方で栄えた養蚕の神様たちもいらっしゃいます。
<ここです・Map!>菅東山出世稲荷神社
https://goo.gl/maps/wVNJxRt886qefCzc9